【日本ラクロスの四半世紀・第26回】 特集・開拓者からのメッセージ(3) 「社会人の関わり」
2012/09/12
1987年の協会設立以来、日本におけるラクロスの発展に、学生たちの若い力が大きく寄与してきたことは間違いありません。
しかし、力を注ぎ、寄与してきたのは学生たちだけではありません。
「大人」と呼ばれる社会人たちが、陰に陽に日本ラクロスの発展に関わってきました。
『開拓者からのメッセージ』第三弾は、その「大人」の立場からラクロスに長く関わってきた3名のエッセイです。
日本のラクロスをもっと素晴らしいものにするために、時に厳しく、時に優しく語られるその言葉は、掲載から10年を過ぎた今のラクロス選手・ラクロス関係者たちにも通ずる、重要なメッセージを含んでいます。
「大人」の視点から、日本ラクロスの発展を見つめてきた彼らのメッセージを、ぜひご覧ください。
1999年4月にクラブチーム連盟委員長という役割を引き受けてから常に頭の片隅に 残っている問題。
しかし、なかなか先の見えない問題・・・・。
他のスポーツでもそうである事が多いが、ラクロスにおいても社会人のクラブチー ムは強さの点で学生よりも優っている事が多い。昨年1999年の全日本選手権決勝は男女ともクラブチーム同士の対戦となったのは記憶に新しい。 しかし、そうした「強さ」が際立つ一方で、クラブチーム連盟の脆弱な体制という事は、多少なりとも関わりのある人なら感じる部分があるだろう。
ボランティアの運営で成り立っている日本のラクロス。クラブチーム連盟も例外ではない。多くの人が仕事とラクロスとプライベートとの三足のわらじをはいている状態である。こうした時間的制約の中、また中には練習会のコーチ、母校のマネジメントなどクラブチームとは別な枠組でのラクロスとの関わりを持つ人もいる。
冒頭の「クラブチーム連盟の将来をどうしていくか?」という問いに対する答えを考えるに当たっては、こうした状況を考慮せざるを得ない。
全日本選手権などでクラブチームが台頭する姿を見て、クラブチーム連盟の長としては悪い気はしない。が、一方で非常に気がかりな点もある。それぞれのチームにおいて「強くなる」ことばかりに比重が置かれすぎていないか?「強くなる」事ばかりに目がいって、また、「時間がない」事を言い訳にして、自分たちのラクロスを取り巻く環境の向上という点に目がいっていないのではないか?そうは言っても、(自分自身も)言い訳をしないでいられる程、ラクロスに時間とパワーをかけられるのか?という思いも出てくる。
ラクロスはまだまだマイナースポーツ。
私が言うのも何だが、ラクロスの日本一って言っても、一般的には「何それ?」ってなものでしょ。プレーヤーの話を聞いていても、小さいエリアの中での小さいチャンピオンにこだわっているなぁ、と思う事が時々ある。
よりラクロス認知度が上がり、よりラクロスをプレーした事がある人が増え、より多くのチームが存在し、より観戦者が増え、より良い会場で試合ができるようになってこそ、クラブチームのチャンピオン、ラクロスでのチャンピオンというものの価値が高まっていくというもの。
強いチームは、その栄冠をもっと社会的地位の高いものにするような働きかけが必要。
ラクロス全体のためでもあるけど、所詮は自分のためでもある。
「クラブチーム連盟の将来をどうしていくか?」 という問いは一義的には私に向けられた課題だが、根本的にはクラブチームに関わる一人一人が「私たちが、クラブチームの将来をどうしていきたいか」という思いに収斂する課題であると思う。
この一人一人の気持ちの高まりなしにはクラブチーム連盟の明るい未来は考えられない。
(『エニワンリレーエッセイ;2000年7月31日』より)
ラクロスの祖師・北米先住民族が、若者の戦闘訓練として、又、部族間紛争解決手段などとして疑似戦争的にラクロスを始めたことは良く知られています(※)。しかし、それはルーツではあっても、近代ラクロスとは全く異なるものと言えましょう。
(※ 石榑氏が別コラムで記述しているように、上記以外にも「肉体・精神の鍛錬」や「様々な神事」などの目的もあった)
近代スポーツは一定のルールの中で鍛えた体力、技術、戦術を駆使し、フェアプレーの精神の下で競い合うもので、これを無視し勝利を挙げても何の意味もないのです。
ルールには、それぞれの目的があり、特に反則や罰則はその意味合いを十分理解し、それを犯さぬよう努め、罰則を適用された場合には厳粛にその裁きを受けねばならないのです。
審判はルールの解釈や適用を公平に行い、裁判官としてその裁定に責任を持ち、一方、選手、監督、観客は被告として審判の裁定に従う義務があるわけです。
これらは全く当たり前の近代スポーツの原点ですが、最近のラクロスではどうでしょうか?ラクロスが全国的に広まり、各チームのレベルも拮抗してきた現在、原点に立ち戻る必要があるのではと感じる今日この頃です。
特にクロスの取り扱いと男子のボディーチェックに問題ありと思います。
ボールをキャリー、パス、キャッチする以外に許されているクロスの利用法、即ち、クロスでのチェックは相手のクロスを叩きボールを奪い取る目的のためのみなのです。相手のクロスやボールとは全く無関係に、相手を痛めつける乱暴なチェックは、その目的から外れていると言わざるを得ません。勿論、クロスを狙ったチェックが外れることも当然あり、一定の範囲でそれも許容されている訳ですが、審判など第三者が判断できるのは、その行為の結果としての表面的外見のみで、選手の心や意図までは分からないのです。それを行った選手のみが故意か偶然かの真実を知っているのです。
ボディーチェックに関しても、特にゴール付近、或いはグラウンドボールでの混戦時の背後からのボディーチェックは禁止されているはずなのに、公然と行われているのが現状です。
誰も見ていないと思っていたら大間違い。審判や観客が傍にいなくても反則は反則なのです。
選手はルールに沿ったプレーを完璧とすべく体力、筋力、技術を身に付けると共に、フェアーなマインドも鍛えることが求められているのです。日頃の練習で、監督やコーチは反則の厳しさを十分指導し、選手もそれを認識し、スキル向上に励んでほしいものです。
反則をして勝っても空しいもので、負けたらもっと虚しいでしょう。正々堂々と戦い、清々しい気持ちで試合終了を迎え、相手の健闘を称え、握手できることこそ、ラクロスの醍醐味でしょう。
これはあらゆる社会生活にも通用するといっても過言ではありますまい。
(『MAXI RELAX2;1998年2月』より)
(1997年)11月8日から約1週間、日本代表候補の選手を中心に遠征に行ってきた。場所はハワイ。各国のクラブチームが集まる今年で7回目の大会に参加するためだ。
時期的に選手はリーグ戦の真っ只中、「チームのことが心配で」と渋るメンバーが多く、人数は20人しか集まらなかった。当初は30名程度を予想していたのだが、結果的に学生選手のリーグ戦への関心の強さを改めて認識する事になった。と同時に、あまりにもリーグ戦に執着する日本のラクロスプレーヤーに、ラクロスを本当に楽しんでいるのだろうかという不安も抱いた。
僕なりの日本ラクロスのイメージを思い浮かべてみよう。
(1)なかなか取ることが出来ない狭い土や砂利のグランド、(2)ボールはどんどんなくなっていく、(3)グランドへの交通の便が悪い、(4)たまに街中のグランドが取れると駐禁が気になってしょうがない、(5)常に何かに追われるようにあくせくボールを追いかけている。
このようなイメージを持っている人は一度海外遠征に行ってみるといい。日本でのイメージが全て覆される。
グランドはいたる所にあり、全て芝生で、ボールはどこまで転がってもなくならない。駐禁なんてある訳ない。子供だろうが大人だろうが誰かしらグランドでラクロスを楽しんでいる。「こんな環境でラクロスやってりゃ楽しいし、上手くもなるよな」なんて思ってしまう。
世界のラクロスと日本のラクロスでは、一般的に相当の差があると言われている。
例えば体格の違い、スティックワークの違い、経験の違い。確かにその通りである。でも実際に、何がどれだけ違うのかということを知っている人は少ないと思う。
海外遠征に行ってみなさい。体で答えを知ることが出来るから。
力の強さ、球の速さ、まずその違いに精神的にプレッシャーを受ける。そのプレッシャーから小さなミスが生まれ、さらに焦りを呼ぶ。ミスは大きくなり、さらなるプレッシャーを与え、最終的に大きな得点差となってあらわれる。そして、「やっぱ外人は強えよ」この一言で全てが終わる。悲しいかな日本のラクロスは未だこの繰り返しである。
この状態を克服するためには、選手達に海外での経験を積んでもらう以外方法がない。
そこで海外遠征。どんどん行って下さい。
その収穫は予想以上に大きいはず。日本のリーグ戦で、どうすれば勝てるんだろうなんて細かな戦術を考えている人がいたら、チームを海外遠征に連れていくべきです。下手な戦術練習の何十倍の効果があるから。
ハワイでの遠征中、選手達はラクロスを本当に楽しんでいるようだった。それはプレー中だけではない。ラクロスを取り巻く環境を楽しんでいた。このことこそが本当に重要なことなのだ。
今回遠征した選手は大変に貴重な体験をしたと思う。
「ラクロスには何が大切で、どうすれば楽しめるか」ということを知ったのである。
(『RELAX2・第5号;1998年1月』より)
■ 『第27回 2008年・全日本選手権決勝、初の関西開催』 へ続く
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しかし、力を注ぎ、寄与してきたのは学生たちだけではありません。
「大人」と呼ばれる社会人たちが、陰に陽に日本ラクロスの発展に関わってきました。
『開拓者からのメッセージ』第三弾は、その「大人」の立場からラクロスに長く関わってきた3名のエッセイです。
日本のラクロスをもっと素晴らしいものにするために、時に厳しく、時に優しく語られるその言葉は、掲載から10年を過ぎた今のラクロス選手・ラクロス関係者たちにも通ずる、重要なメッセージを含んでいます。
「大人」の視点から、日本ラクロスの発展を見つめてきた彼らのメッセージを、ぜひご覧ください。
渡辺 慎也 「クラブチーム連盟の将来 をどうしていくか?」 |
1991年・一橋大学ラクロス部入部(同部はこの年初めて関東リーグ戦に出場) 1996年・一橋大学ラクロス部ヘッドコーチ 1999年・日本クラブチームラクロス連盟委員長(※委員長:現・本部長) |
石榑 信孝 「現代ラクロスの非。 フェアーなマインドを鍛え直す」 |
1969年・慶應義塾大学卒業 1992年~2010年・日本ラクロス協会顧問 2010年~・日本ラクロス協会理事 |
大久保 宜浩 「ラクロスには何が大切で どうすれば楽しめるか」 |
1986年・慶應義塾大学にて、友人とともに日本でラクロスを始める 1996年・日本で初めて開催された世界大会で、日本代表ヘッドコーチを務める 2010年・第11回男子世界大会で日本代表ヘッドコーチを務める |
クラブチーム連盟の将来をどうしていくか? (渡辺 慎也) |
しかし、なかなか先の見えない問題・・・・。
他のスポーツでもそうである事が多いが、ラクロスにおいても社会人のクラブチー ムは強さの点で学生よりも優っている事が多い。昨年1999年の全日本選手権決勝は男女ともクラブチーム同士の対戦となったのは記憶に新しい。 しかし、そうした「強さ」が際立つ一方で、クラブチーム連盟の脆弱な体制という事は、多少なりとも関わりのある人なら感じる部分があるだろう。
ボランティアの運営で成り立っている日本のラクロス。クラブチーム連盟も例外ではない。多くの人が仕事とラクロスとプライベートとの三足のわらじをはいている状態である。こうした時間的制約の中、また中には練習会のコーチ、母校のマネジメントなどクラブチームとは別な枠組でのラクロスとの関わりを持つ人もいる。
冒頭の「クラブチーム連盟の将来をどうしていくか?」という問いに対する答えを考えるに当たっては、こうした状況を考慮せざるを得ない。
全日本選手権などでクラブチームが台頭する姿を見て、クラブチーム連盟の長としては悪い気はしない。が、一方で非常に気がかりな点もある。それぞれのチームにおいて「強くなる」ことばかりに比重が置かれすぎていないか?「強くなる」事ばかりに目がいって、また、「時間がない」事を言い訳にして、自分たちのラクロスを取り巻く環境の向上という点に目がいっていないのではないか?そうは言っても、(自分自身も)言い訳をしないでいられる程、ラクロスに時間とパワーをかけられるのか?という思いも出てくる。
ラクロスはまだまだマイナースポーツ。
私が言うのも何だが、ラクロスの日本一って言っても、一般的には「何それ?」ってなものでしょ。プレーヤーの話を聞いていても、小さいエリアの中での小さいチャンピオンにこだわっているなぁ、と思う事が時々ある。
よりラクロス認知度が上がり、よりラクロスをプレーした事がある人が増え、より多くのチームが存在し、より観戦者が増え、より良い会場で試合ができるようになってこそ、クラブチームのチャンピオン、ラクロスでのチャンピオンというものの価値が高まっていくというもの。
強いチームは、その栄冠をもっと社会的地位の高いものにするような働きかけが必要。
ラクロス全体のためでもあるけど、所詮は自分のためでもある。
「クラブチーム連盟の将来をどうしていくか?」 という問いは一義的には私に向けられた課題だが、根本的にはクラブチームに関わる一人一人が「私たちが、クラブチームの将来をどうしていきたいか」という思いに収斂する課題であると思う。
この一人一人の気持ちの高まりなしにはクラブチーム連盟の明るい未来は考えられない。
(『エニワンリレーエッセイ;2000年7月31日』より)
現代ラクロスの非 ~原点に戻ってフェアーなマインドを鍛え直す~ (石榑 信孝) |
(※ 石榑氏が別コラムで記述しているように、上記以外にも「肉体・精神の鍛錬」や「様々な神事」などの目的もあった)
近代スポーツは一定のルールの中で鍛えた体力、技術、戦術を駆使し、フェアプレーの精神の下で競い合うもので、これを無視し勝利を挙げても何の意味もないのです。
ルールには、それぞれの目的があり、特に反則や罰則はその意味合いを十分理解し、それを犯さぬよう努め、罰則を適用された場合には厳粛にその裁きを受けねばならないのです。
審判はルールの解釈や適用を公平に行い、裁判官としてその裁定に責任を持ち、一方、選手、監督、観客は被告として審判の裁定に従う義務があるわけです。
これらは全く当たり前の近代スポーツの原点ですが、最近のラクロスではどうでしょうか?ラクロスが全国的に広まり、各チームのレベルも拮抗してきた現在、原点に立ち戻る必要があるのではと感じる今日この頃です。
特にクロスの取り扱いと男子のボディーチェックに問題ありと思います。
ボールをキャリー、パス、キャッチする以外に許されているクロスの利用法、即ち、クロスでのチェックは相手のクロスを叩きボールを奪い取る目的のためのみなのです。相手のクロスやボールとは全く無関係に、相手を痛めつける乱暴なチェックは、その目的から外れていると言わざるを得ません。勿論、クロスを狙ったチェックが外れることも当然あり、一定の範囲でそれも許容されている訳ですが、審判など第三者が判断できるのは、その行為の結果としての表面的外見のみで、選手の心や意図までは分からないのです。それを行った選手のみが故意か偶然かの真実を知っているのです。
ボディーチェックに関しても、特にゴール付近、或いはグラウンドボールでの混戦時の背後からのボディーチェックは禁止されているはずなのに、公然と行われているのが現状です。
誰も見ていないと思っていたら大間違い。審判や観客が傍にいなくても反則は反則なのです。
選手はルールに沿ったプレーを完璧とすべく体力、筋力、技術を身に付けると共に、フェアーなマインドも鍛えることが求められているのです。日頃の練習で、監督やコーチは反則の厳しさを十分指導し、選手もそれを認識し、スキル向上に励んでほしいものです。
反則をして勝っても空しいもので、負けたらもっと虚しいでしょう。正々堂々と戦い、清々しい気持ちで試合終了を迎え、相手の健闘を称え、握手できることこそ、ラクロスの醍醐味でしょう。
これはあらゆる社会生活にも通用するといっても過言ではありますまい。
(『MAXI RELAX2;1998年2月』より)
ラクロスには何が大切で、どうすれば楽しめるか (大久保 宜浩) |
時期的に選手はリーグ戦の真っ只中、「チームのことが心配で」と渋るメンバーが多く、人数は20人しか集まらなかった。当初は30名程度を予想していたのだが、結果的に学生選手のリーグ戦への関心の強さを改めて認識する事になった。と同時に、あまりにもリーグ戦に執着する日本のラクロスプレーヤーに、ラクロスを本当に楽しんでいるのだろうかという不安も抱いた。
僕なりの日本ラクロスのイメージを思い浮かべてみよう。
(1)なかなか取ることが出来ない狭い土や砂利のグランド、(2)ボールはどんどんなくなっていく、(3)グランドへの交通の便が悪い、(4)たまに街中のグランドが取れると駐禁が気になってしょうがない、(5)常に何かに追われるようにあくせくボールを追いかけている。
このようなイメージを持っている人は一度海外遠征に行ってみるといい。日本でのイメージが全て覆される。
グランドはいたる所にあり、全て芝生で、ボールはどこまで転がってもなくならない。駐禁なんてある訳ない。子供だろうが大人だろうが誰かしらグランドでラクロスを楽しんでいる。「こんな環境でラクロスやってりゃ楽しいし、上手くもなるよな」なんて思ってしまう。
世界のラクロスと日本のラクロスでは、一般的に相当の差があると言われている。
例えば体格の違い、スティックワークの違い、経験の違い。確かにその通りである。でも実際に、何がどれだけ違うのかということを知っている人は少ないと思う。
海外遠征に行ってみなさい。体で答えを知ることが出来るから。
力の強さ、球の速さ、まずその違いに精神的にプレッシャーを受ける。そのプレッシャーから小さなミスが生まれ、さらに焦りを呼ぶ。ミスは大きくなり、さらなるプレッシャーを与え、最終的に大きな得点差となってあらわれる。そして、「やっぱ外人は強えよ」この一言で全てが終わる。悲しいかな日本のラクロスは未だこの繰り返しである。
この状態を克服するためには、選手達に海外での経験を積んでもらう以外方法がない。
そこで海外遠征。どんどん行って下さい。
その収穫は予想以上に大きいはず。日本のリーグ戦で、どうすれば勝てるんだろうなんて細かな戦術を考えている人がいたら、チームを海外遠征に連れていくべきです。下手な戦術練習の何十倍の効果があるから。
ハワイでの遠征中、選手達はラクロスを本当に楽しんでいるようだった。それはプレー中だけではない。ラクロスを取り巻く環境を楽しんでいた。このことこそが本当に重要なことなのだ。
今回遠征した選手は大変に貴重な体験をしたと思う。
「ラクロスには何が大切で、どうすれば楽しめるか」ということを知ったのである。
(『RELAX2・第5号;1998年1月』より)
■ 『第27回 2008年・全日本選手権決勝、初の関西開催』 へ続く
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